東日本大震災がありました。多くの方が亡くなりました。
報道写真で、呆然と立ち尽くす人を見ると、
言葉にならない無力感に襲われます。
自分の身を振り返り、家族がいることに安堵し、
自分は恵まれていると思う。これが正直なところです。
日常生活では、家族と喧嘩することもあります。
そのときは、お互いを憎みあいます。
どれだけ憎まれ口を叩いても、
その人を失えば、私も茫然自失になるでしょう。
言うまでもなく、人は一人で生きていけません。
わたしなりに解釈すれば、自分以外の人がいなければ、
自分を見失うからだと思います。
人がいるから、自分を評価できる。
たぶん、間違っていないはずです。
話を変えますが、まったく同じことが価格にも当てはまります。
iPadが発売されたとき、私は安いと感じました。
そのときは、タブレット端末はiPadだけですから、
比較できる価格はありません。
それでも、ラップトップPCに比べれば、半値以下。
iPhoneよりは高くても、大画面で使いやすそう。
無理してでも比較対象を探し、比較しようとしました。
何かと比較するから、高い・安いという評価が成り立ちます。
これは、商品も同じです。
どれほど、独自性があっても、どれほど先進性があっても、
どれだけ画期的であっても、お客さんは絶対評価ができません。
必ず何かと比較があって、そのうえで良い、悪いと判断します。
だからこそ、商品を説明するときは、
必ず何か比較対象がないといけない。
商品だけを、どれだけ一生懸命説明しても、
比較対象がない限り、その素晴らしさは伝わりません。
極論で言えば、
競合を消し去れば、あなたの商品も消えてしまうのです。
競合を憎んでも、競合がいるから、その商品があります。
人を憎んでも、人がいるから、あなたがいます。
全ては同じ世界の出来事です。
私たちは、相対評価の世界に生きているのです。
■ 考える急所
競合を消し去れば、あなたの商品も消えてしまう。
商品説明には、比較対象が必要。